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コラム

銭湯とバスオール

千里ニュータウンの入居が始まった1960年代には、「家に風呂がないこと」は一般的なことでした。都会の街角にもあちこちに銭湯がありました。最先端だった千里ニュータウンでも、府営住宅などでは家に風呂がなく、建設コストを下げ、少しでも多くの住宅を造ることが優先されました。各住区の近隣センターには銭湯が設置され、ここに通っても湯冷めしないよう、府営住宅は近隣センターからおおむね半径300メートル以内に配置されました。

ところが都心から千里まで電車で帰ってきて、また銭湯まで行くことは大変なことでした。住民の多くは生活パターンも似ていたため、銭湯が混む時間は決まっていて、ベビーベッドも取り合いだったという話が伝えられています。

そこへ登場した画期的なアイデア商品が「ほくさんバスオール」という後置き式のユニットバスでした。これは工事なしでもガスと給排水だけ接続すればすぐに置いて使え、わが家が「風呂つきの家になる」というアイデアが受けて大当たり。ガスと水道をつなぐため台所に置くことが想定されていましたが、家が湯気だらけになってしまうことや換気の問題から、やがてベランダに置くことが一般的になりました。

最初期の商品ほどコンパクトに作られていて洗い場もありませんでしたが、置き場所がベランダになってしだいに大型化しました。当時では珍しいローン購入のサービスも提供され、人気にますます火がつきました。

「ほくさん」は北海酸素のブランド名で、札幌が本社。バスオールは全国商品でしたが、一番売れたのは千里ニュータウンであったといいます。

生活向上への意欲は止まることがなく、困ったのはお客さんを取られた銭湯でしたが、1980年代には子どもの成長で家そのものが狭いことが課題となり、府営住宅の「一部屋増築」が、約10年をかけて施工されました。このときに風呂も全戸に設置され、銭湯もバスオールも使命を終えました。

「ほくさんバスオール」の実物は南千里駅前の吹田市立情報館で見られるほか、吹田市立博物館には全国でもここだけの各種コレクションが見られます。当時ならではの商品開発と生活の工夫を、ぜひ中に入って実際に体感してください。

ほくさんバスオールの広告 1964頃


資料提供:エア・ウォーター

吹田市立博物館では歴代のほくさんバスオールが見られる


撮影:奥居武