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人口から見た千里ニュータウン

千里ニュータウンは吹田市と豊中市の2市にまたがっていますが、その人口動向は、両者からなる「吹田市・豊中市千里ニュータウン連絡会議」が、毎年秋にまとめて集計し、このサイトなどで公開しています。両市の基礎データはこちら(吹田市豊中市)で見られます。データの根拠は、5年毎の国勢調査と、毎年の住民基本台帳の集計をベースにしています。

千里ニュータウンは1960年代の計画当初、「計画人口15万人」をうたってスタートしました。このためには3万戸の住宅が必要と見積もられましたが、世帯サイズの小型化(核家族化)が進んだために、1970年の完成までには37,330戸の住宅が供給されました。

しかし実際の人口は、1975年の約12.9万人をピークに減り始めます。「核家族の町」として造られたニュータウンでは、子供が大きくなって独立すると、1世帯あたりの人数は大きく減ります。当初は「若い家族を中心に入れ替わっていく」ことが想定されていましたが、実際には定住化が進んだため、高齢化が急速に進んだと言われています。人口は一時期、8.9万人台まで落ち込みました。

1990年代頃から初期住宅の老朽化・陳腐化が課題となり、2000年代後半から集合住宅の大規模な建替が進められるようになりました。この結果、多くの民間分譲マンションなどが建つようになり、子育て世代など、新しい住民が転居してきやすくなりました。最新の統計では、人口は10万人を再突破し、世帯数は約4.8万世帯まで増加しています。世帯あたりの平均人数は2.16人で、世帯サイズの小型化は進行していますが、これは全国的な傾向です。(2021年現在)

日本は今、全国的な「人口減少時代」に入っていますから、千里も例外ではありません。「千里ニュータウン再生指針2018(資料編)」では、千里ニュータウンの人口は、2025年をピークに再度減少に転じると推計しています。その中で「暮らしやすい町」のバランスを取っていくためには、私たち自身が「自分の町」をよく知って、考え続けていくことが大切です。

計画時の目標人口 1961(記録映画「ひらけゆく千里丘陵計画篇」より)

提供:大阪府

児童数が一番多かった頃の藤白台小学校 1976

撮影:永井俊雄

65歳以上高齢化率の推移(1970-2020)

人口・世帯数の推移(1970-2020)