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コラム

(北摂アーカイブス)4.千里中央仮駅

1970 撮影:神谷昭六

1970年の万博に合わせて開業した北大阪急行は、万博終了まで、千里中央南側のトンネル内で東にカーブし、北新田橋の下あたりで地上に顔を出し、中国自動車道の東行車線を一時的に利用して万博会場まで走っていました。この千里中央駅は、千里阪急ホテルの前あたりに仮設置され、終点の「万国博中央口」駅は太陽の塔の目の前、現在の中国自動車道吹田料金所あたりに設置されていました。

ホーム上には、万博会場に出勤するらしい外国人スタッフの姿もあり、はなやかな雰囲気です。新千里東町などの団地はスタッフの宿舎に利用され「万博外人村」と呼ばれていました。北大阪急行は万博輸送のメインルートではありましたが、当時はまだ千里一円の開発が途中だったので、千里中央駅で乗降する人は今よりずっと少なかったのです。

万博が終了した翌日から、千里中央駅はあらかじめ用意されていた現在の地下駅に移転し、この仮駅や会場につながる線路は撤去されました。

(関連コラム)「万博とニュータウン」もご覧ください。→こちら

北摂アーカイブス」は、貴重な記録写真から、北摂の移り変わりをインターネット上で見られるコレクションです。「吹田市・豊中市千里ニュータウン連絡会議」は、千里ニュータウンの住民や関係者などから多くの写真を集め保存し、北摂アーカイブス内の 「千里丘陵コレクション」へ写真を提供しています。1960 年代以降、日本でも最も激しく変貌した千里ニュータウン。その内外の様子をピックアップしてご紹介します 。

・「北摂アーカイブス千里丘陵コレクション」は→こちら(写真多数!)
・この写真のデータは→こちら