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コラム

千里ニュータウンの仲間たち(海外)

「ニュータウン」という計画都市のルーツは、イギリスにあります。1903年、ロンドン郊外約60キロで、レッチワースという「田園都市」の開発が始まりました。これは産業革命で悪化したロンドンの都市環境を離れて、「田園」と「都市」が調和した新しい町を造ろうという、社会運動的な民間のプロジェクトでした。この運動は日本にも影響を与え、千里山住宅地や、東京の田園調布など、「日本の田園都市」も建設されました。(千里山駅西側にある「レッチワースロード」は、この故事にちなんで名づけられたものです。)

この動きは第二次世界大戦後、イギリス政府による、より大きな住宅都市建設…「ニュータウン」計画に発展します。多くの国で大量の家屋が戦争で失われ、戦後のベビーブームが起きていた当時、この考え方は多くの人たちを惹きつけ、ヨーロッパ大陸やアメリカでも「ニュータウン」の建設が広がりました。社会主義国でも、労働者に合理的な生活環境を与えるために、大量の団地が建設されるようになりました。

それらの動きを、日本でいち早く取り入れて建設されたのが、千里ニュータウンです。当時の設計者は各国のニュータウンや団地の方法論を勉強し、アレンジ・集大成しながら、「日本のニュータウン」を造っていきました。イギリスのスティブネジやハーロウといったニュータウンは千里ニュータウンに大きな影響を与えたと言われていますし、アメリカのラドバーンという町からは、「近隣住区」という町の骨格や、歩車分離のためのセオリーが導入されました。府営住宅で多く採用された「囲み型配置」はヨーロッパで多く見られますが、日本の気候で「西向き」の住棟ができることには大きな葛藤もありました。

今、ニュータウンはアジアの各国でつぎつぎと建設されています。経済成長にともなう都市部への人口移動が、「ニュータウン」の建設を後押ししています。

千里ニュータウンは、そのように1世紀以上、世界を駆け巡っている住宅都市建設の流れに位置づけられる、記念碑的な町なのです。

レッチワース田園都市(イギリス)

レッチワース田園都市(イギリス)

撮影:奥居武

ハーロウニュータウン(イギリス)

ハーロウニュータウン(イギリス)

撮影:奥居武

アーバイン(アメリカ・カリフォルニア)

アーバイン(アメリカ・カリフォルニア)

撮影:奥居武

浦江鎮(中国・上海)

浦江鎮(中国・上海)

撮影:奥居武