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コラム

グレーター千里

「千里」という地名は行政の自治体単位にもなく、千里ニュータウンも吹田市と豊中市にまたがっているし、ニュータウンの外にも千里山、千里丘、千里川、千里園…と「千里」がつく地名は散らばっていて、だいたい地形が千里丘陵に乗っている場所は「千里」かな…というぐらいのイメージで、ハッキリとした範囲の定義はありません。

「グレーター千里」という言葉をご存じでしょうか。これは千里ニュータウンを中心に、万博跡や千里との関連で開発された彩都まで含んだ広域の都市圏を表現した言葉で、1970年代後半から1980年代にかけて、大阪府やマスコミ、国立民族学博物館の初代館長であった梅棹忠夫さんを中心に打ち出された考え方です。

当時、住宅の供給を最優先して造られた千里ニュータウンを「ベッドタウン」にとどめておくのはもったいない、これだけの地の利を生かして、万博跡地や、のちに「彩都」と名づけられる国際文化公園都市も一体的に、北大阪を総合的・多面的な都市圏にどのように発展させていくか…という大きな構想が語られていました。その野心、夢を大きく括った言葉が「グレーター千里」でした。

その構想を具現化するためには「郊外同士のヨコの連携」も強くする必要があり、1990年に開通した大阪モノレールは、このような使命も担うことになりました。彩都は第二名神(新名神)を介して「けいはんな学研都市」を貫き国土軸にもつながり、ライフサイエンスを軸とするまちづくりが構想されました。「グレーター千里」は京阪神を結んだ三角形の中心にあることからも、「京阪神千」というフレーズまで語られたりもしていました。

今は「グレーター千里」に代わって、より広い「北摂」という言葉が、よく聞かれるようになりました。「北摂」は大阪府と兵庫県にもまたがっていますが、大阪府の北摂だけでも人口は約180万人になります。千里はやはりその中心にあり、この位置関係は変わることがありません。

グレーター千里の概念図 1982(記録映画「千里ニュータウンその背景」より)

提供:大阪府

千里の知の拠点・国立民族学博物館(みんぱく) 2011

撮影:奥居武

モノレールで千里と結ばれている彩都 2016

撮影:奥居武